ここまで、普通借家契約の場合、大家が借主に退去を求めるためには正当事由が必要であり、立退料は、その正当事由を補うための重要な要素になることをご説明してきました。
では、実際に立退料はいくらになるのでしょうか。「家賃の6か月分が相場」「1年分くらいもらえる」といった話を聞くことがあります。しかし、立退料には法律上決められた計算式はありません。実務上も、いくつかの考え方があり、どの方法で考えるかによって金額は大きく変わります。
一つ目は、現在の家賃を基準にする方法です。例えば、家賃10万円の物件であれば、6か月分の60万円、1年分の120万円というように計算する方法です。この方法は分かりやすく、交渉の出発点として使われることもあります。しかし、家賃だけで立退料を決めることには問題があります。例えば、家賃10万円の物件から退去する場合でも、引越費用だけで20万円かかる人もいれば、店舗を移転するために数百万円の費用がかかる人もいます。
二つ目は、退去によって借主に発生する具体的な損失を計算する方法です。居住用の物件であれば、引越費用、新しい物件を借りるための仲介手数料、礼金などの移転費用が問題になります。また、現在の家賃が10万円で、同じ地域・同程度の物件に転居するためには家賃12万円の物件しかないという場合には、転居後の家賃が毎月2万円増えることになります。近時の居住用物件に関する裁判例では、このような移転実費に加え、新旧賃料の差額の一定期間分を立退料の基準として考える方法が多く見られます。
三つ目は、「借家権価格」を基準にする方法です。これは、単純に退去にかかる費用を計算するのではなく、現在の物件を借りていること自体にどの程度の経済的価値があるのかを評価する考え方です。例えば、非常に条件の良い場所を安い賃料で借りている場合、借主にとっては、その物件を借り続けること自体に大きな経済的利益があります。このような利益を失うことを考慮して、借家権価格を立退料の基準の一つとする方法があります。ただし、この借地権価格は、不動産鑑定士に鑑定を依頼しなければ正確な金額を算出することができません。不動産鑑定士への依頼の相場は数十万円から事案によっては100万円以上です。実際にこの方向性で議論を進められるケースは費用との兼ね合いで限定的といえます。
実際の立退料の交渉では、このどれか一つの計算方法だけを使うとは限りません。例えば、まず引越費用や賃料差額などを具体的に計算し、それだけでは借主が現在の物件を失う不利益を十分に評価できない場合には、借家権価格や営業補償も検討することになります。裁判例でも、移転費用、賃料差額、内装費、営業補償、借家権価格など、複数の要素を組み合わせて立退料を判断しているものがあります。
このように考えると、「立退料の相場はいくらですか」という質問に、一律に答えることはできません。家賃を基準に考えて数ヶ月程度であれば安い、数年程度であればおおよそ妥当という簡単コメントはできます。しかし、判例では10年以上の賃料相当額が認められたものがあります。私の過去の事案では億を超えたものもあります。何ヶ月分(あるいは何年分)という単純な尺度で測れないのが実情です。